ニュース

第二回 新・文明の旅 下見 三日目

大学2014.03.05

DSC_6489.jpg

■寺林さんメモ

今日は、片岡さんとアウシュヴィッツ博物館とビルケナウへ行き、日本人でガイドをしていらっしゃる中谷さんのご案内で見学をして来ました。私達のグループは、日本人が16名ほどで学生さんのグループもあり、熱心に質問したりメモを取っている女子学生さんの姿も見受けられました。博物館といっても当時本当に多くのユダヤ人が収容された施設で、色々知らなかったことなども聞くことができ、改めて人種差別や戦争のことを考えさせられました。

 

今日はそんなに人は多く訪れていない、とはおっしゃっていましたが、それでも様々な国のグループの人々が訪れていました。ユダヤ人のグループとドイツ人のグループが同じフロアでそれぞれガイドさんの話に耳を傾けている場面もあり、複雑な心境にもなりました。

 

博物館には多くの女性の髪が切り取られたものが残っていたり、ユダヤ人の方が持っていて没収されたカバンやメガネ、そしてクシや靴のクリーム等もあり、「これから新しい生活が待っている。」と言われて信じてやってきた人が、その後シャワーを浴びると導かれた場所がガス室だった現実。そしてその後は4,5人まとめて焼却され、灰は川などに流されたため、実際に被害にあった人の人数は正確にはわからないとのことでした。義足なども沢山積まれ、多くの子どもも被害にあったことが写真にもあり、せつなくなりました。

 

ガス室は最初からあったものではなく、収容人数が多くなったため作られたとのことでした。収容された人が受けた仕打ちを聞いたり、寝ていた所やガス室、焼却炉等を実際に目にすると、このような歴史を繰り返してはいけない、と思ったのと同時に、これを来年本学の学生が実際に見て、聞いて、それをどう感じてこれから自分達がどうしていかなければいけないのかを考えるためにもぜひ実際にこの土を踏んで肌で感じて欲しいと思いました。今ポーランドの近くのウクライナでの情勢についてのニュースを見ていると国境や平和について改めて考えさせられます。

 

明日はヤゲェロン大学の学生さんとのセッションもある予定です。ここでも来年本学の学生と現地の学生さんとどう関わっていくのか‥?その架け橋の一端としてまずは自分達下見チームで学生さんと触れ合って来たいと思います。

 

DSC_6526.jpg

 

■片岡さんメモ

3日目は寺林さんとともに、「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所」の見学に行きました。

 

クラクフ本駅からバスで1時間15分ほどで入口に到着しました。到着は朝の9時45分でしたが、すでに大勢の訪問客が居て、そのほとんどがヨーッロッパ各地から来ている学生達でした。もちろんドイツ人やユダヤ人も多く含まれており、各々がどのような心境で、そしてお互いをどのように意識して見学をしているのかを考えたとき、きっと日本人の私には絶対にわからない、さまざまな感情があるのではないかと思いました。

 

日本人ガイドである中谷氏のお話を伺いながら、アウシュビッツ側から見学が始まりました。有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれたゲートをくぐった後に、収容施設を改修して作られた展示室を見学しました。実際にユダヤ人たちが居た同じ空間で見聞きすることは、日本で書籍・映像などを通して得る知識とは全く異なり、言葉では言い尽くせない憤りを感じました。

 

ユダヤ人収容棟、銃殺刑を行った場所「死の壁」、電流が流れていた二重の鉄条網、監視塔、ガス室と併設された焼却炉を見学しました。その後ビルケナウにグループでバスにて移動し、収容所に連行するために作られた鉄道や貨車、今も多く残る収容棟の建物、爆破されたガス室の残骸、そして記念碑を見ました。写真や文字では知ることのできない雰囲気や、実際にそれらの行為が行われたこの空間に終始圧倒させられました。

 

バスにてクラクフ駅前のバスターミナルに戻ったのが夕方の4時くらいで、移動時間を考えると出発からクラクフの街に戻るまで8時間という長い行程ですが、その価値がある見学であると強く思います。人間が負の側に立ったときに見せる究極の可能性。それが、この過去の現実を生んだこと。すべての人が疑問に思うよな残虐な行為が実際に行われたこと。そしてその可能性が現代の我々の世界の中にも必ず内包されており、今後もその芽が大きくなってはいないか注意深く観察していかなければいけないことを知りました。

 

 

IMGP0278.jpg

 

■石黒先生メモ

3月4日(火)

 

本日クラクフチームは、アウシュヴィッツ見学チーム(寺林さん・片岡さん)、日本精工Kielce工場(正式にはNSK Bearing Polska S.A.)訪問チーム(木村先生・石黒)の2グループに分かれ、それぞれ視察を行いました。アウシュヴィッツ見学チームの出発が早い為、6:30a.m.から朝食を取りながら、本日の予定や日本との連絡についてなどを話し合い、1日の始まりの準備をしました。特に片岡さんは日本との連絡・写真記録担当ということもあり、今朝は皆の情報を集約したり、Skypeテストの準備をしたり、これまで撮影した写真についての解説を入れたりと、大忙しの朝食となりました。その後アウシュヴィッツ見学チームは、8時過ぎくらいのバスで、現地に向かいました。アウシュヴィッツでの様子は、寺林さん・片岡さんが詳細をご報告してくださいます。

 

日本精工Kielce工場チームは、昼食時までには先方に到着するよう、10:30a.m.にタクシーにて現地に向かいました。Kielceは人口20万人くらいの中規模の街で、位置的にはクラクフとワルシャワの丁度中間点あたりにあります。ポーランドの長距離道路はかなり整備をされてきているようですが、クラクフ-ワルシャワ間の道路はまだ高速道路のようには整備されておらず、一般道を目的地まで走っていくという感じでした。

 

今日のお天気は曇り時々雨で、車窓からは、小麦・じゃがいもなどの畑が延々と続くなだらかで静かな景色が続きました。車の窓から見える建物は降雪地帯の山間部にみられる山小屋のような感じで、傾斜のある三角形の屋根の家が多く、雪が多く降る地帯であることがうかがえました。ただ、今年は例外的に暖かく、あまり雪も降っていないということで、ほんの僅かの雪が道路に残っている程度でした。来年学生達が訪問する時に例年のように寒い冬になった場合は、寒さ対策などを十分に考えたほうが良いかもしれません。

 

さて、ホテルを10:30に出発後、私たちは2時間弱程で日本精工Keilce工場に到着しました。日本精工さんのご厚意で様々なアレンジメントをして頂いており、工場到着時には、本日私たちに工場をご案内してくださった、マネジャーの山下さんとシニア・アドバイザーの小川昌幸さんが、わざわざゲートまでいらして私達を迎えてくださいました。

 

到着後はご用意頂いていたポーランド料理のお昼をご一緒し、ポーランドでの生活やこれまでの様子などをお伺いしました。小川さんは現在の赴任が2回目ということで合計10年、山下さんは2012年にこちらに赴任され1年半程経過されたところということです。こちらでの生活は多くの大都市と違い日本人も少なく、ご不便ではと想像していましたが、お話しによると、想像以上に生活がしやすいということでした。また山下さんの2回目の赴任はご自身での希望ということで、Kielce工場とそこでの仕事に対する熱意が感じられました。

 

昼食後、山下さん、小川さんに加え、日本で研修をし、日本語を流暢にお話しされるWitkowskiさんの3名から、Kielce工場の概要とこれまでの歴史についての1時間半ほどのプレゼンテーションをお伺いし、その後プラントにある二つの工場のうちのWW2という工場を見学させて頂きました。プレゼンテーションの内容などは帰国後またご報告させて頂きたいと思いますが、今回は調査で工場を訪問する時と同じくらいの詳細情報をご説明頂けたのと、工場の全工程(400メートルの長い工程です。)を見学することができ、本当に貴重な機会を頂けたと思います。個人的には、同様にアジアに進出している日系企業の研究プロジェクトやトルコ-日本経済圏の共同研究に参加しているため、自分がこれまで調査した他国の企業との比較もでき、また、旧東欧圏で訪れる初めての工場でしたので、本日訪問の機会を頂いて大変感激しました。

 

今回の日本精工Kielce工場の訪問は、本学の川邉学長が以前日本精工さんについての研究を実施されたご縁で実現しました。本日は、ヨーロッパマーケットと生産の重要拠点としてのKielce工場の位置づけや、FDI投資先及びマーケットとしてのポーランドの魅力、ポテンシャル、課題や、異文化間マネジメントのチャレンジと現地化への取組に加え、日本精工さんが推進していらした旧東欧圏の国営企業への技術移転と企業文化の浸透のストラテジーとプロセスなどを、日本人スタッフとポーランド人スタッフの双方の方々からお伺いすることができました。詳細については、後日ご報告いたします。見学は日本精工Kielce工場様にご準備頂いたスケジュールに沿って進めて頂きましたが、それぞれの項目について大変ご丁寧にご説明頂き、予定を大幅にうわまわり、16:30過ぎに終了、工場を失礼してクラクフに戻りました。

 

クラクフではアウシュヴィッツ見学チームと落ち合い、それぞれの1日についてフィードバックをし、来年度の学生派遣についての検討事項などについて話し合いました。クラクフのコーヒーショップで会った寺林さん・片岡さんは、本日の見学で見て、聞いて、感じた様々な思いが表れた複雑な表情をしていらっしゃり、今日の見学のインパクトの強さが感じられました。

 

本日の二つのルートの見学はどちらも非常に重要なものでしたが、来年度のスケジュール立案に向けては、移動と見学にかかる時間(ほぼ1日の行程になる)をどのように予定に組み入れることができるかという点を検討することと、周到な事前勉強の必要性がある点を確認いたしました。

 

コーヒーショップでのミーティングを終えた後、私たちは旧市街地で夕食を食べ、ホテルに戻りました。こちらには様々なレストランがありますが、普通のレストランでは大体30から50pln(レート1pln40円として1,500~2,000円)はかかるため、学生が食事をするのには、もう少しカジュアルな場所が良いかと思います。因みにマクドナルドのビックマックは8.8pln (約350円)、フィレオフィッシュ7.9 pln (約320円)、カフェのキャラメルマキアート(ホイップクリーム付、ミディアム: *まだ私はスターバックスを1軒も見ていません(!))14.9pln (約600円)と、日本とほぼ同じくらいの価格ではと思います。但し、これらの値段は為替レートに大きく左右されますので、また来年になってみないと、何とも言えない点があるのも事実です。(両替情報などについては、寺林さんが詳しく検討してくださっています。こちらは後日別途ご報告頂きます。)

 

明日はビリニュス->ワルシャワと、移動・ミーティングの多かった絹川先生・大野先生チームと合流し、ヤギェロン大学様と交流・打ち合わせ予定です。

 

 

■木村先生メモ

3月4日(火)3日目

石黒先生と共に日本精工KIELCE工場を訪問しました。クラクフから2時間の道中では、広大なジャガイモ畑や穀倉地帯が広がり北海道を走っているような風景を目にすることができました。ドライバーのビーテックさんと、ガイドブックのポーランド語を駆使して会話をしました。冬季オリンピックでは、スキージャンプでポーランド選手と日本の葛西選手がメダルを分け合ったことを共に喜びました。また、KIELCEには、日本料理「赤坂」というレストランもあるそうです。

 

さて、今回の訪問で最も印象的だったことは、日本の持つあらゆる面での「繊細さ」についてでした。ベアリングの製造過程においては、電子制御のマシーンによって研磨や洗浄を何度も繰り返し、数ミクロンの誤差もない精密なベアリングが完成するとのことです。しかし最後の梱包前の確認作業は、熟練工の指先にかかっているようです。10個ほどの完成品を指先でなでながら同時にチェックしていく技には驚きました。ここには、まさに日本のモノづくりの伝統が継承されているようです。

 

そうした技の繊細さ以上に、スタッフの方のおもてなしに感動しました。タクシーの手配から、地元食材をふんだんに使った昼食までご用意いただき、工場見学の際にも素人の私に懇切丁寧にご説明いただきました。こうして日本人スタッフの方々が、現地生活のご苦労を乗り越え、異国の地で誇りを持ってモノづくりに取り組んでいる姿に勇気をもらいました!