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島田依史子と、富士山と、文京学院 5 富士登山

今回も、第2代理事長の島田和幸先生著『思い出すことなど』から、和幸先生が依史子先生がなぜ富士山をこよなく愛したかを記していますので、ご紹介します。

今回は前回の続きの文章を紹介します。

 

 

 

 

思い出すことなど 島田和幸

P.73 万里の道も一歩から 勉学や人生に似る富士登山 より抜粋

母は、昭和17年の夏、自らこの「五」を試みるため、有志生徒十人ばかりと男性教員一名、それに私(当時小学校5年)のお供で富士登山に挑みました。もともと足のきわめて弱い人でしたし、私も頑健ではありませんでしたから、これはきつかったのです。戦時下のガソリン統制で、既に富士吉田から登山口までのバスもなく、電車で朝早く富士吉田駅に降りたあとは、もうただ、つえを頼りに歩くのみです。途中の山小屋で、コップ一杯十銭の水は飲めましたが、戦前からの名残である森永ミルクキャラメル、チョコレート、カルピス、などというホーロー製の看板をうらめしく横目で眺めながら、ひたすら登ります。キャラメルはおろか、ジュースすら買えない時代です。六合目までマイカーでさっと登れる現代では、想像も難いでしょう。

この登山の結果を簡単に書くと、脚力があまりにも釣り合わない先生、生徒グループとは途中で別れ、私達は強力(=山岳ガイド)の世話になりながら、マイペースであえぎ登り、とうとう頂上を極めたのでした。私はひどい高山病にかかり、頭痛に泣きながらてっぺんの火口壁に立ったのを覚えています。でも、頂上で拝したご来光の素晴らしさは、生涯忘れられません。行きも帰りも六合目に一泊するという、超スローモー登山でした。

考えるに、富士に登るということは、実に様々な意味で、勉学や人生に似ているのです。

すなわち、裾野が長くて、見えている頂上が容易に近づきません。(基礎的な修練は、時間が長くかかりあきやすいのです)

頂上に近くなるほど、つらくなります。(ほんとうの実力や奥義、あるいは人間的深みには、なまやさしい努力では達し得ません)

登るには、自らの足を前にふみ出すしかありません。(全く同様で、これが校訓「勤勉」の精神)

それをたゆまず続ければ、人よりおくれても頂上に達し得ます。(これも同様。英語で”Better late than never”「遅くとも、しないよりまし」といいます)
汗と涙で頂上をきわめたものだけが、真のそう快感を味わいます(それが実力です)

克己心とのたたかいです。(これも全く同じ)

つらいが楽しくもあり、自信をつけてくれます。(そもそも勉学をつらい、楽しくないなどど思わぬことです)

 

『思い出すことなどー回想の前学園長・母 島田依史子』

平成3年8月30日第一刷発行

平成5年3月1日第ニ刷発行

著者:島田和幸

発行者:島田燁子

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