今回は、学院紙に掲載した島田依史子先生のコラム記事「富士山に学ぶ」を紹介します。
折々の記 島田依史子 「富士山に学ぶ」
私にとって、富士山を見ることは鏡をみることに等しい。「君子(くんし)は日に三たび反省す」という教えが昔からあるけれど、たしかに人間は、心の鏡に映 して反省をすることが大切である。(中略)私が機会さえあれば富士山をながめるのは、富士山が私の鏡になってくれるからである。「一富士、二たか、三なすび」というように、夢で富士をみることは大吉といわれているが、私にもそのような体験がある。
ある夜、富士山のふもとに一人立って山頂を見上げている夢を見た。翌朝、文部省から電話が入って、「ただ今、文部大臣の決裁が済みましたのでご安心くださ い。」という知らせがあった。忘れもしない、昭和6年12月22日のことである。(中略) 認可が下りてから、その前夜の夢の意味について深く考えた末、 私は自分に次のように言いきかせた。「おまえは、今一人で富士山のすそ野に立っている。そして、一人であの頂上をめざして進むのだ。だれも助けてはくれな い。どんなに苦しいことがあっても、目的とする女子教育の理想をめざして頂上までいくのだぞ」と。
私はこの夢に深く感謝し、シンボルとして校章にも富士山と大和(やまと)心の山桜を配したものを採用した。そして、生徒たちには、依頼心を持たないで一歩ずつの歩みを堅実にたどっていくように、と今日まで教えてきた。また私自身に対しては、常に、いま自分は富士山の何合目にいるだろうかと考え、頂上はまだ まだ遠いぞ、うぬぼれることなくがんばろうと、自らを励ましてもきたのである。
(学園紙「ぶんきょう」 昭和58年9月10日号より抜粋)